個人的な考え。
水曜日の早朝5時、僕は独り 村上は葛籠山の麓の村落の女性が熊に襲撃されて亡くなった現場すぐ近くにいました。
当初の僕はマスコミの報道通り、今まで熊など出た事の無い場所に「突如として」熊が出て女性を襲ったのだ…と思っていました。 ですが、村上に行く直前まで毎夜のようにGoogleアースを睨み現場周辺の地理を拡大したり縮小したり、Googleストリートを使って事前リサーチを重ねている内にこう考えるようになりました。
「ここで熊出没や襲撃が起こったのは初めてだが、この周辺には、過去既に熊は現れていただろう、目撃した人が少ないだけだろう」と。 パソコンのGoogleアースを睨みながら、片手に6万分の1新潟広域詳細地図を広げながら考え辿りついたのは、「葛籠山は確かに小さな小さな山だが、それと繋がる要害山と薬師山(正式名・嶽薬師)は緑豊かで、その北にはまたさほど開けていない山が延々と山形の…熊とマタギの聖地、朝日岳まで続いている。これ位の距離、1日で数十kmの山間を移動出来る熊なら『少し足を延ばす』程度で出てこれるはずだ」と結論したからです。 当たっているかはともかく。
さて水曜早朝…
明るくなって間もないこの周辺をゆっくりゆっくりエクストレイルを荒川上流に向かって走らせながら この連山から熊が最初に出る時に通るであろう獣道が無いか探していました。 一つこれかもな…と思うものを見た間もなく、小岩内村落付近に来た時、左の山斜面に放牧した羊に早朝から餌をあげている、眼鏡を掛けJAのキャップを被り作業着の壮年の御主人が見えました。
車を降りた僕は小川の手前から「おはようございまーす、早朝からすみませーん、実は熊のお話を教えてもらいたくて。この周辺に熊は出た事はありませんかー?」と叫びました。
御主人は「良く声が聞こえないから、こちらにおいでなさい」(私達の間には小川の赤坂川が流れている為)とおっしゃられ、僕はすぐ近くまで歩みました。目の前は山です、どこか体が強ばります。
「何を調べてらっしゃるの」と、近くでお会いすると実に博識で優しく物腰の柔らかそうな方でした。
僕は「はい、僕は新潟市内の者で、野生動物が大好きで色々勉強しています。今回の事故現場や周辺を地図で見ていて、この周辺で熊が出た事があるんじゃないかと思いまして。事故は初めてだったとしても」と訊きました。
すると御主人は「あぁ熊ね、出ますよ」と言われ、僕は(やっぱり、やっぱりな…!)と納得出来ました。
御主人の詳しいお話では、自分は他に薬師山の下に畑を幾つかやっているが、何度も熊が出たり足跡を残してきた。今までそこで3、4頭の熊を罠で捕らえ、猟友会に仕留めてもらって来たし、一緒にいた子熊を奥山に放獣した事もある。この山々は高さは無いが、奥行きがあり、背後の神林の山々に繋がり、そこからすぐ朝日山と飯豊の山に繋がるから、熊が出たって全く不思議じゃないのだ、と。
僕は自分の推測の正しさを確証しながら次を言いました。
「でもあれなんじゃないですか。この小岩内の山の中には出ても、少し下流側の湯ノ沢の村落(今回の事故現場直近の市街)までは出なかったし、堤を越えて荒川までは出なかったんでは?」と。
「そうなんだよね。この赤坂川を越えて向こうに行く事は無かったんだけどもねぇ。だからこの事故は本当に驚きで」とおっしゃいます。
僕は「つまり、この赤坂川が城塞と言うか柵の役目ななっていたんですね」
「そうなんだ、この川より内側、そしてこちら寄りだけだったんですよ。それが今回荒川まで出て更に海まで行ったんでしょ。毎日ここにいるけど、まだ…信じられなくてねぇ」。
僕は山と村落の間に「小川や川」「用水路」がある場合、それが野生動物と人間居住域の隔てになる重要な要素である事を知っていたので、御主人の話には全て理解が出来ました。
御主人が「あなたは大学の研究の方ですよね。今まで新潟や長岡の熊研究の方々に尋ねられましたから。大学の先生ですか」とおっしゃるので、恥ずかしくなり「いえいえ全く違います。ただ野生動物が好きなもので」と言っても「でも大学の方でしょう」とおっしゃるので、恥ずかしく笑いながら「いや本当に違うんですよ。そりゃ大学は出てますが法学部です(汗)」と話しました。
御主人が訊かれます「やっぱりあれなんでしょうか…一度人間を殺した熊はまた人間を殺すんでしょうか?」と。
僕の知ってる限り「うーん、月ノ輪熊はそんな事は無いようですが。それに月ノ輪熊は人間を殺して食べませんし。ただ、ああして一度人間を倒していると、自分の爪と牙の力なら人間は容易に襲い倒せる、人間は弱いのだと学習して、行動が大胆になると思います。あの熊が海岸線に現れたり、かと思うとすぐにこの薬師山の登山口で目撃されて自由に行動しているのはその表れだと思います。それに今回の熊達は若いF1世代(現代の知床に出現している、人間を全く恐れず警戒心も無く近寄って来る厄介な世代の羆)だと思います。月ノ輪にもそれが出たのでは…と考えてます。」と言いました。
御主人からは大変貴重な情報を沢山貰いました。
丁重にお礼を言い、別れてさらに上流に走りました。
そしてこの夜、村上に精通する義父(新潟県写真家協会の理事を歴任したり長岡造形大学の講師をして来たプロカメラマンの内山アキラ氏。今回の熊事件の現場の一つ、大池公園の白鳥達を撮り続けたアート作品群で『国際美術評論家大賞』を4月に受賞した。市内で写真館を経営されているある御夫妻がバイクスにお越し下さった時、『内山先生は私達には“神”のような存在です』とおっしゃっていた。)に今朝の事を話していたら判明した事に、なんと驚くべき事に早朝に僕にお話下さった御主人は、義父のとても仲良しの幼なじみ、いとこさんだったのでした!(すぐに電話を掛けて確認して大笑いしたのでした)。
確かに熊に遭うのは怖く避けたい体験ですが、同時にその育む自然の豊かさに、改めて村上地域が好きになった休日でした。